ドイツではなく、日本の住宅を学べ

その後さまざま念検証を重ねていくととで、いくら周辺の環境が良くなっても、ションの室内空間そのものが快適でなければ満足できるはずがない、という当たり前のζ-vンとに気づいていきます。「環境と共生する力で、室内を快適にする新築マンションはつくれないだろうか」そのことを目指す一環として、私たちの会社が視察先に選んだのはドイツでした。そζで「パウピオロギl」(建築生物学)という言葉と出合いました。人間と自然に適合した理性ある建築という意味です。その第一人者で建築家のヨアヒム・エプレ氏を訪ねたのが転機となります。同氏の言葉は今でも忘れません。「日本の環境共生住宅の事例は、ドイツでなく日本にある。日本人はきびしい暑さと湿度のなかで快適に暮らす術を昔から持っていた。しかし、自らそれを捨ててしまった。だからドイツに来るのではなく、日本の住宅を学べ」環境共生の先進国として学ぶととろは多かったものの、ドイツは北海道よりも北に位置し、東京近郊の生活環境に単純に置き換えられるものではありません。そζ で帰国後、私
たちは日本の伝統的な建築の研究を始めるのです。たとえば京都の町家。ζ の建物は間口が狭く、奥行きが深いつくりが特徴です。「うなぎの寝床」と呼ばれる敷地形状は、間口が広いほど税金が高くなる京都独特の「間口税」が課せられていたからといわれています。京都は盆地のため夏は湿度が高く、蒸し暑いのは有名です。その厳しい環境でも涼しく快適に暮らすための建築の工夫には、目を見張るものがあります。税金のおかげで細長くなった敷地は、聞取りゃ通風の計画、庭の配置などの設計が正方形の敷地と比べて自由度は低いと思います。しかし、町屋は次のような上手な設計を施しています。基本的な構成は、表通りから「底←坪庭←居間←裏庭←蔵」の順になっています。表の庖舗から裏の庭まほぼ直線的な「続き間」にすることで、風がよく通ります。ふすますだれすどまた、玄関の戸を格子戸にし、夏には襖や障子を取り払い、簾や戸に替えるのも、視線を遮りながら緩やかに風を抜く技です。ひさしそして、庇を低くし陽射しを遮り、玄関の前や通り庭に打ち水をするなど、吉田兼好の徒然草第五十五段に記された「家のつくりゃうは、夏を旨とすべし」の言葉の通り、夏の暑さをやわらげる工夫、が・なされていました。乙れらにより、気温が下がらなくともヒトの体感温度を下げ、程よく涼を感じる空聞がつくり出されます。町家が涼しくなる秘密は「坪庭」や「裏庭」にもありました。庭に植えられた樹木は、枝葉を伸ぼすと真上からの強い陽射しを遮ると同時に、土中の水分を吸い上げ、それを葉から蒸散する。気化熱の原理で周囲の空気を冷やすのです。そしてまた夜間には放射冷却により庭が冷やされ床下にまで冷気が溜まるのです。坪庭は、室内に風のゆらぎをつくる役目も果たしています。表通りに陽が射し熱っせられると上昇気流が発生し、裏庭や坪庭の冷たい空気が部屋を通り表通りへと移動していきます。これが風のゆら、ぎです。町家建築は、当時の日本では有数の大都市であった京都で生まれたものです。その夏を涼しく過ごす工夫は現代のマンションにも十分応用できるものでした。また沖縄の古民家は台風から家屋を守るため屋根を大きく低く設計し、日陰を広く生み出します。ζ れは居室前の地面を熱くしない配慮につながります。そして、「続き間」という部屋が連続する構造も特徴のひとつ。建物の四方に開口部を設けられているので、必要に応じて涼しい風が部屋の中を縦横無尽に吹き抜けるようになっていたのです。古来の日本の住まいに関する知識を深めることで、お客様の「周辺の環境はいいよね」という一一百葉が、「周辺環境はよいのだけれども、部屋の中までその快適さは来てないよ」という意味だったのか、と気づかされたのです。との気づきが、マンションに住まう人へ、自然の力を使って快適さをつくる方向へと大きく踏み出すきっかけとなったのです。